塾長独言 〜学童保育型学習塾の週刊blog〜

2022年春に札幌市桑園地区に新規開設する学童保育型学習塾の塾長ブログです

最大の武器は学びたい欲求

今通ってくれている中学生の前期評定が出揃いました。

軒並みアップしてくれたので、一応はホッとしているところです。

そんな今日は、中学生の勉強についての所感を。

 

ある中学2年生の子は、3と4だけだった評定を、

9教科中6教科で5を取り、残りの3教科で4でした。

Dから始まった暫定の内申ランクは、Bまで上がりました。

 

勉強は得意でもなく苦手でもない。そういう子でした。

1年生の時の模試では、札幌市内でちょうど中間あたりの偏差値ランクに位置する高校の合格確率が58%。

そこに行ければ御の字だよ。保護者の方もそう話していました。

 

通い放題のうちの塾は、一斉授業なるものはしないので、毎回全員と軽い打ち合わせをしてその日の勉強内容を決定しますが、その子は部活が終わってから来るので、1日の滞在時間は3時間くらい。

帰宅は遅くなるので、軽い軽食を食べてお腹を満たし、うちはシャワーも開放しているので、部活の汗を流すなどして1時間経過。

それから勉強を開始するけど、お腹を満たしてシャワーも入れば、成長盛りの中学生はとにかく眠たい。多い時で1時間ほどウトウトして、実際に勉強できる時間は1時間ほど。

それでも彼は、とにかく毎日来ました。

 

保護者の方の要望もあり、土日だけは宿題を出しました。

それも、やって来ないこともしばしば。

それでも僕は怒りません。できなかった理由を話し合い、どうしたらできるようになるのかを考えてきました。

 

今年の夏休みが明けたころ、札幌でも有数のある進学校に行きたい。と言いました。

夏休み中の模試では、彼が志望したその高校よりもひとつ下の偏差値ランクの高校の合格確率が15%。それでも去年の同じ模試では2%でした。58%だったかつての志望校は98%に上がりはしました。

しかし、確率が上がっているとはいえ、15%の合格確率の高校よりも、さらに上を目指したいという彼の思いを保護者とも共に考え、そこを目指すことに決めました。

 

昨日返ってきた英語の単元テスト。

100点満点中74点で、彼は落ち込みました。

しかし、去年の今頃、英語の単元テストが72点で、彼は安堵していたことを僕は忘れていません。

72点で安堵していた教科の小テストが74点では悔しい。その感情は進歩の表れです。

そして、理解不足な内容が明確に。

あとは、できない所をやっつければいい。

 

定期テストの範囲が発表になり、今までは僕が渡すプリントをこなすだけだった彼が、「ノートのまとめ直しからやりたい」と、初めて自分で方法を考え始めました。

本音を言えば、ノートのまとめ直しは有効でも、効率的ではないのでテスト前にはお勧めしないのですが、初めて彼が試したいと言った内容を、思いきりやってみることにしました。

 

納得できるほどノートをまとめ直した後、彼が効率的に勉強できるようにしておくのは、関わる大人の責任です。

 

膨大な量を与えられて強制的に勉強をこなすだけの学習より、勉強方法を自ら考えて学習する。

それでは失敗もする。遠回りもする。

しかし、その経験から自分に合った勉強方法を見つけていく。

それは一生使えるツールになります。

 

僕は、学校の授業の進度に寄り添います。

だから、大手の塾のように、ガンガン先に進んだりはしません。

一番気を遣っていること、それは、各教科でランダムに行われる小テストや単元テストの日程を把握し、取りこぼしの無いように小テストで点数を取れるように勉強の内容をマネージメントすること。

あとは、理解不足のところに手をつけて、各教科で苦手な単元を1つひとつやっつけることだけ。

 

昨日、僕は初めて学校の進度を無視する決意をしました。

例の、彼の74点の英語の単元テスト。

まだ習っていない文構造を理解していなければ論理的に解くことができないのに、平気で単元テストで出題される設問に疑問を持ち、それを理解させるためには、学校のカリキュラムや進度を待っていては、彼は英語が苦手になってしまうという危機感。

 

学校でやっていない内容の勉強をするから、多少苦痛だけどいいかい?

と言う僕の問いに、彼は、やる。と。

学びたい欲求こそ、最大の武器です。

大人の最大の仕事は、学びたい欲求を引き出すこと。

それがあれば、コツコツ積み上げる習慣がつき、ガリ勉でなくても高得点が取れ、自然と成績は上がっていきます。

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自主と強制を考える

九州にある、東福岡高校と筑紫高校のラグビー部の奮闘のドキュメンタリーを見たことがあります。(今も、あの有名な動画投稿サイトに上がっているかもしれません。)

東福岡高校の監督の方針は、選手の自主的な姿勢を大切にする練習。

筑紫高校の監督の方針は、強制的にでも選手を引き上げる練習。

どちらがいいか、どちらが悪いか、という話しではありません。

 

筑紫高校の監督が話されていたことが印象的でした。

「自主は、強制の先にあると思うんですよね。東福岡さんは、それをすごく上手にされているんですよね。」

 

私がこの動画を見た時、ある公立高校野球部の外部コーチをしていました。

その野球指導の観点から、「すごく参考になるなー」と納得しましたが、実はこれは勉強にも当てはまるのだと考えるようになりました。

 

強制してでもやらさなければならないこと。

それは基礎・基本です。昔から言われている「読み・書き・計算」のことです。

それを身につけるまでは、あらゆる工夫をして定着を図らなければなりません。

子ども達は、その基礎・基本を学ぶ中で、自分なりの学習の仕方を学び、それが定着した後に、学ぶ楽しさを見つけていきます。

大切なのは、この強制的にでも定着させなければならない基礎・基本の過程で、勉強を嫌いにさせないことで、「わかるって楽しい」を実感させる大人の関わりです。

 

私たちは先日、新たに開設する学童保育型学習塾「イデア」の、基本姿勢を確認しました。

それは、「怒ったら負け」ということ。

正確には、「自分と人に危険が及ぶ行為の時」だけは思い切り叱りますが、それも「怒る」とは異なります。

その根本は、「やらされる勉強は伸びない」と言う考えです。

強制的に身につける内容であっても、それが強制的にやらされているのでは伸びません。

強制的に身につける内容であっても、自ら進んでやれば伸びていきます(つまり、それは習慣化です)。

子どものその姿勢の差は、「楽しいか、つまらないか」に尽きます。

 

その視点を共有できる社員を、まもなく募集する時期となりました。

人生観とキャリア教育

生涯学習」という考え方があります。

「人が豊かな人生を歩んでいくためには、生涯にわたり学び続けることが大切である。」

という考え方です。

 

2001年から2018年までは、”生涯学習政策局”という部局が文部科学省の筆頭局として位置付けられ、国の教育政策も基本的にこの「生涯学習」という考え方に基づいて進められていました。(2018年、生涯学習政策局は総合教育政策局に改編されました)

 

この、「生涯学習」という考え方。

日本では、”学校教育を受け終わってから”、どのように学んでいくのか、という議論に終始してきました。

学問上の定義では、学校教育も生涯学習の一環である、との考えが主流ではありますが、実際は、学校教育期間を終えた社会人が、何かの講演を聞いたり、何か習い事をしたり、スポーツクラブに入り活動したり、ボランティア活動をしたりなど、とにかく仕事外の学習体験のことを指してきました。

だから、日本の”生涯学習”の範囲は、もっぱら余暇活動の充実と、仕事をリタイアしたお年を召された方の社会参加についてのものでした。

 

しかし、欧米に目を向けてみると、この”生涯学習”の実態は、全く異なります。

欧米(特に北欧)では、手厚い失業手当てが保証されているため、失業をしても仕事が無い期間に学校に入り直して新たな資格を身につけ、次のステップアップに備えることが当たり前のように浸透しています。

日本では余暇や老後の時間を使った「趣味的」「生きがい的」な学びが生涯学習の中心であるのに対し、北欧では、職業のステップアップのために就労と就労の間の失業期間に学ぶ様々なことを「生涯学習」と考えているのです。

 

北欧では、「どのように生きるか」というキャリア観は、生涯をかけて形成されるものと考えられ(国や地域に関わらず、その考え方自体は当たり前のことですが)、実際にそのキャリア観の変化による転職とそのための教育の受け直しが容易いシステムも構築されています。

 

日本でも、転職をしてキャリアアップしていく人生が珍しくは無くなりました。

ひと昔前からは想像もできなかったほどの多様性が認められる社会の中で、多様な生き方が可能な社会になりつつあります。

子どもが成長していく過程で、あるいは成長して社会に出た時に、自分のキャリア観に合った生き方ができる社会は成熟しつつあるのに、一方で学校で行われる「キャリア教育」は、実際は進路指導の一環で、「学校を卒業したら、次はどの学校に進学するのか、あるいはどこに就職するか」ということに終始しています。

 

子ども達が、これからの社会を生き抜いていくために、様々な大人の様々な人生に触れながら育って欲しいと私たちは願います。

新たに開設する”学童保育型学習塾イデア”では、月に一度、まさに多様な仕事・生き方をしている大人たちを招いて、「キャリア講話」として子ども達に生の声を聞いてもらおうと考えています。

 

例え成績の向上には直結しなくても、多様なキャリア観を育み、学ぶ意義を実感してほしいと願っています。

「英語」という言語を考える

僕は、中学時代に英語が大嫌いでした。

今とは違い、中学1年生でいきなり始まる英語という教科。

その時に、教科担当の先生に言われたことと、その時の違和感は今でも覚えています。

 

「将来、例えばイラク人と君たちが2人きりになったとしたら、コミュニケーションのための言語は英語になる」

→(いやいや、俺がイラク人と2人っきりになることは一生ないんでないかな?)

 

「英語は国際語だから、英語が読めれば世界のある程度のことはわかる」

→(俺が日本語を国際語にしてやるぞ!)

 

「この単語とこの単語は、重要だから覚えておいてね」

→(小学の時に習ったローマ字が通用しないじゃないか!)

 

オホーツク海に面した人口5000人の町で育った僕は、田舎で育つ素直さもなく、そんな天邪鬼な子どもでした。

 

今、中学生に英文読解を毎日教えていますが、そんな僕の英語の成績は、高校2年生までは赤点常習者。

追試でなんとか合格して単位をもらう、そんなことを繰り返していました。

 

大学受験を決めたのは、野球部を引退した高校3年生の7月。

どうせ学ぶなら、北海道で一番偏差値の高い大学で勉強したいと決意し、偏差値40からの挑戦でした。

 

それからは、英語、英語、英語の毎日。

家の中には辞書を5冊用意して、どこにいても手を伸ばせば辞書がある、という環境を作りました。

1冊は自分の部屋に。1冊はリビングに。そしてトイレ、食卓にも。持って歩くためのハンディの辞書は、まさに雨の日も雪の日もバッグに入っていたので、ヨレヨレでした。

 

古本屋さんがない田舎。インターネット環境なども無く、中古の辞書が手に入らず、親はそんな僕に全て新品で買い与えてくれました。

 

大学へは、ギリギリでの合格でした。

 

ある程度、単語量と熟語の量が増えてきた時、ふと気づいたことがありました。

 

英語って、おもしろい。

 

正確にいうと、英語という言語が面白いのではなく、そこに書かれていることを訳し、読んでいけるようになるのが面白かったのです。

 

そこまでいくためには、やはり単語量が必要です。

しかし今の中学生は、辞書を引かなくなりました。

教科書の後ろに、その学年で出てくる単語の全てが載っているので、辞書をひく必要がないのです。

 

しかし、辞書と教科書では、その情報量は雲泥の差です。

辞書に書いてある、例文こそ大切で、今指導している中学生には、単語を調べたら、時間がかかってもいいから、そこに載っている例文を最後まで読みなさい。と伝えてあります。

 

また、調べた単語には必ずマーカーでチェックをするのがルールです。

調べた単語に、もしマーカーのチェックが引いてあったら、その単語はすでに一度調べているものなので、少し焦りなさい。と伝えています。

 

僕の故郷にはなかった古本屋さんがたくさんある札幌。

幸いにして、中古の辞書は数百円で手に入れることができます。

今の塾には、1人1冊以上の辞書を用意して、1人ひとりに専用の辞書を貸し出すことにしています。

 

僕がしたような苦労をしないためには、やはり、毎日の「コツコツ」が大切です。

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新しい形で学習塾運営を目指して

学童保育所(ここでは、単に「学童」と言います。)は、就労、病気、介護、災害復旧時などの理由で、保護者が日中家庭にいないときに、子どもが安心・安全に毎日を送るために利用することが前提に制度が作られています。

 

しかし、民間運営されている学童の多くでは、運営の面で保護者の積極的な参画が求められます。

例えば、保護者と職員で構成し、会計・予算決算・職員の採用・労務、官公庁への提出書類の作成などの仕事をする「理事会」があります。

また、日々のゴミ出しや除雪、イベントの主催などを行う「保護者の会」は、保護者のみで構成されていて、利用家庭の保護者は、当番制で仕事が割り当てられたりもします。

(「理事会」も「保護者会」も、施設ごとに名称が異なります)

 

保護者が「理事会」を通して施設の意思決定に参画したり、

「保護者会」では日々の役割分担に加え保護者同士の情報の共有もできたり、

支援員は子どもに関わることに集中できたり、

あるいは、そういう仕事やイベントが好きな保護者さんもいたりするので、

メリットは少なくありません。

 

しかし一方で、本当に日々が忙しくて、学童での役割を果たせることができなくて仕方なく退所する、という家庭も少なからず存在するのも事実です。

保護者の参画が前提となる運営の在り方では、”そもそも保護者が忙しいから学童保育所を利用する”のに、保護者は経済的な支出に加え、時間的・労力的な負担もする事になります。

 

私たちは、この矛盾を解消するために、異業種の3社が結集して、それぞれの得意分野を活かしてひとつの施設を運営していこうとしています。

 

経営とコンプライアンス、施設の維持管理については、弁護士が代表を務める不動産会社が担います。

事務については、就労継続支援A型事業所を運営する福祉分野の会社が担います。

学習指導については、学習支援業を専門とする教育分野の会社が担います。

 

そして保育については、福祉分野の会社と教育分野の会社が協働で担い、福祉的・教育的視点から、学習を散りばめた内容を作り上げていきます。

 

単なる「学習塾」ではなく、「学童保育型学習塾」とすることで、業務はより多角化されていきます。

しかし私たちは、子どもへの質の高い保育と教育を追求しながら、保護者の時間的・労力的な負担を極限まで減らすため、3社それぞれの専門的強みを結集して運営していこうとしています。

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小学生から万年筆を使う?

個人的な話からスタートしてしまいますが、僕は万年筆が大好きです。

大好きと言うより、書類、署名、メモ、手紙など、手書きのものはほぼ万年筆しか使わないため、もう生活の中で無くてはならないものになっています。

 

大学院修士課程の2年生の時、修士論文の執筆に追われていた僕に、当時担当教官だった教授の先生がペリカンというメーカーのM800をくださいました。

その書き味に虜になり、そこから手書きの際はほぼ万年筆を使うように。

その万年筆は、先生が定年退官なさる際に、先生のお名前を入れて記念品とするお許しを頂き、使わずに保管することに決めました。

それから、自分に合った万年筆を探し求め、色々な万年筆と出会いましたが、

一番しっくりきたのが、今メインで使っているパイロットのカスタム823と言うモデル。

この子は、インクの交換や手入れに加え、使用する度に尻軸のネジを緩めて空気を入れなければならないという手のかかりようですが、それがまたいい。

手書きの使用頻度が一番高い手帳と一緒に持ち歩いていますが、結局は、手書きのほとんどに使用しています。

 

さて、前置きが長くなってしまいました。

万年筆は、正しく持たないと書けません。しかし、正しく持てば、筆圧がほとんどいらないため疲れません。

当然ですが、鉛筆のように消すことができません。だから、自分の思考のプロセスを残すことができます。

ハイテクの進歩が著しい時代。しかし、勉強面においては、手書きのプロセスを大切にしてほしいと思っています。

万年筆の素晴らしさまだまだたくさんありますが、小学生こそ万年筆で勉強を進めてほしいと考え、3年生以上の子ども達に、1人1本ずつ配布し、勉強の時に使用することを決めました。

 

早速、パイロットの「カクノ」というモデルを自分で使ってみて試しています。

率直に、大変素晴らしいものと感じています。

舶来の万年筆は、アルファベットを書くことを想定して作られていますが、国産メーカーのものは、日本語に使用される前提で作られているので、縦書き、はね、とめ、はらいに適しています。

 

塾の名前を入れて配布し、小3以上の子ども達はこの「カクノ」を使おう。

そして、そのためにも、低学年のうちに正しい鉛筆の持ち方をマスターしよう。

また一つ、理想の教具に出会った1週間でした。

 

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私たちが身につけたい力

教育行政に専門職として勤めていた時、

先生方と学力向上プロジェクトを立ち上げ、

秋田県東成瀬村に視察に行ったことがありました。

 

人口2,500人ほどの村ですが、

毎年行われる全国学力学習状況調査では、常に上位にランクイン。

過去には、全国で一位を取ったこともある村です。

山間にあるこの村には、新たに住宅を立てるための土地もなく、

実家がこの村にない役場職員と、転勤のある学校の教職員は、近隣の都市部に家を借りるか建てるかして通勤するという村で、

当然のことのように、民間の学習塾もありません。

 

この村が、なぜ全国的にトップクラスの学力を誇るのか。

率直な私の質問に答えてくれた教育長さんの言葉が印象的でした。

 

「人は、言葉のシャワーを浴びて人になる。

だから、徹底的に言語力を鍛えます」

 

言語力って、やっぱり全ての教科の力に直結しているんだ。

そう実感できた瞬間でした。

 

言語力を鍛える。

そのことを大切にして、国語と算数を中心に、小学生各学年で身につけたい力を決めました。

 

私たちの強みは、塾機能で学んだ知識を、学童保育機能の生活や遊びで実践できること。

そのことを念頭に、各学年で重視する力を決め、今週、教材の内容も決定しました。

(教材の内容は独自のものであるため、諸々の契約が終わり製本できた後お知らせします)

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