塾長独言 〜学童保育型学習塾の週刊blog〜

2022年春に札幌市桑園地区に新規開設する学童保育型学習塾の塾長ブログです

「英語」という言語を考える

僕は、中学時代に英語が大嫌いでした。

今とは違い、中学1年生でいきなり始まる英語という教科。

その時に、教科担当の先生に言われたことと、その時の違和感は今でも覚えています。

 

「将来、例えばイラク人と君たちが2人きりになったとしたら、コミュニケーションのための言語は英語になる」

→(いやいや、俺がイラク人と2人っきりになることは一生ないんでないかな?)

 

「英語は国際語だから、英語が読めれば世界のある程度のことはわかる」

→(俺が日本語を国際語にしてやるぞ!)

 

「この単語とこの単語は、重要だから覚えておいてね」

→(小学の時に習ったローマ字が通用しないじゃないか!)

 

オホーツク海に面した人口5000人の町で育った僕は、田舎で育つ素直さもなく、そんな天邪鬼な子どもでした。

 

今、中学生に英文読解を毎日教えていますが、そんな僕の英語の成績は、高校2年生までは赤点常習者。

追試でなんとか合格して単位をもらう、そんなことを繰り返していました。

 

大学受験を決めたのは、野球部を引退した高校3年生の7月。

どうせ学ぶなら、北海道で一番偏差値の高い大学で勉強したいと決意し、偏差値40からの挑戦でした。

 

それからは、英語、英語、英語の毎日。

家の中には辞書を5冊用意して、どこにいても手を伸ばせば辞書がある、という環境を作りました。

1冊は自分の部屋に。1冊はリビングに。そしてトイレ、食卓にも。持って歩くためのハンディの辞書は、まさに雨の日も雪の日もバッグに入っていたので、ヨレヨレでした。

 

古本屋さんがない田舎。インターネット環境なども無く、中古の辞書が手に入らず、親はそんな僕に全て新品で買い与えてくれました。

 

大学へは、ギリギリでの合格でした。

 

ある程度、単語量と熟語の量が増えてきた時、ふと気づいたことがありました。

 

英語って、おもしろい。

 

正確にいうと、英語という言語が面白いのではなく、そこに書かれていることを訳し、読んでいけるようになるのが面白かったのです。

 

そこまでいくためには、やはり単語量が必要です。

しかし今の中学生は、辞書を引かなくなりました。

教科書の後ろに、その学年で出てくる単語の全てが載っているので、辞書をひく必要がないのです。

 

しかし、辞書と教科書では、その情報量は雲泥の差です。

辞書に書いてある、例文こそ大切で、今指導している中学生には、単語を調べたら、時間がかかってもいいから、そこに載っている例文を最後まで読みなさい。と伝えてあります。

 

また、調べた単語には必ずマーカーでチェックをするのがルールです。

調べた単語に、もしマーカーのチェックが引いてあったら、その単語はすでに一度調べているものなので、少し焦りなさい。と伝えています。

 

僕の故郷にはなかった古本屋さんがたくさんある札幌。

幸いにして、中古の辞書は数百円で手に入れることができます。

今の塾には、1人1冊以上の辞書を用意して、1人ひとりに専用の辞書を貸し出すことにしています。

 

僕がしたような苦労をしないためには、やはり、毎日の「コツコツ」が大切です。

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